蛍の名所として、また渓谷美をほこる景勝地として知られる岩堰(いわぜき)。落ち着いたたたずまいと、水墨画さながらの景色が心を和ませてくれます。
皆様は石手川と重信川という二つの大河川を造り替え、民を水害から救った偉大な武人、足立重信をご存知でしょうか?足立重信は、初代松山藩主 加藤嘉明の右腕として活躍した武人です。数々の戦場で功績をたて、君主加藤嘉明を守り抜いた豪傑でした。ただ強いだけでなく、頭の切れる人物で、思いやりのある侍だったと伝えられています。松山藩主になった加藤嘉明は、伊予の民が伊予川(今の重信川)と湯山川(今の石手川)の氾濫と汚水に苦しんでいることを知り、足立重信に次の命令を与えました。
『伊予川の氾濫を防ぎ、要害に備え、城下町の繁栄を促し、近在の田畑の灌漑に活用できるように改修せよ。』この命を受けた足立重信は、湯山川の流域を南に変え、その末流を伊予川に合流させる方法を考えました。この大改修で困難を極めたのは、湯山川を南に変更させることでした。また、流れを変えることで松山城の堀としての防衛線を築くことを狙いました。そこで、岩堰と呼ばれる箇所の巨大岩石を切り崩してしまうという計画を立てました。これを切り崩さないと南へルートを変更することが出来なかったからです。数十メートルもある岩を切り崩すのですから、大変な作業です。しかし、足立重信達はこの離れ業をやってのけ、見事水害を防ぎ、松山城の防衛線を作ることに成功しました。この大改修のおかげで、このあたりでは水害が無くなったそうです。岩堰が現在の松山の繁栄をもたらしたといっても過言ではありません。
今では川に小さなつり橋がかかっています。眼下の美しい溪流をながめたり、ここちよい川音を耳にしながら、付近を散策するのもよいでしょう。栴檀は岩堰の目前に位置しています。
「鮎寄せの 堰音涼し 宝川」 酒井黙禅
※宝川は石手川の旧名